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ご挨拶
門限の早さは恋愛に影響すると思いますか?
はじめまして、こんにちは、ぬんです。恋の話をしに来ました。この質問に対して私は「影響する」と考えています。その考えに至ったきっかけとして、僭越ながら私の経験談をお話したいと思います。
このような多くの方に読んでいただく文章には慣れていないため、力不足な点も多々あるかと思いますが、飲み屋で友人が昔話を打ち明けているのを聞くように、え~!それはひどいね~!それでそれで~?という風に気軽に読んでいただければ幸いです。
付き合った人は、育ってきた環境が正反対だった
告白されてお付き合いすることになった人とは、性格も趣味も家庭環境もまったく異なっていました。往々にして恋愛の大半は「それでも好き」というところに帰結するものであり、それは私たちも例外ではなく、違うところに惹かれたり、面白がったり、いちいち新鮮に驚いたりしていました。私と恋人について簡単にご紹介します。
貧しい家に生まれ、父は私が幼いころから単身赴任。姉は進学で実家を離れ、私は過干渉の母と二人暮らし。家族仲が良かったことナシ。
仲の良いご両親と、1つ年下の弟と暮らす、家族仲も経済的にも恵まれた家の長男。世の中の家庭すべて自分と同じように家族円満だと本気で思っている。
私たちは大きな喧嘩をすることもなく、違うということがむしろスパイスになったりもして、至って順調に関係を構築していました。お付き合いするようになって1年、2年…と時間が経過しても、初めの頃と変わらない仲の良さでした。
しかしその一方で、普段は一緒にいて楽しいけれど時折感じる恋人との「根本的な考え方の違い」に対して、私は徐々に負い目と言いますか、申し訳なさを感じるようになっていました。
ありふれた日常の中でこそ浮き彫りになる考え方の違い
とはいえ大げさなことはなく、些細なことです。例えばある日のこと。恋人の家族は4人でいると誰からともなく鼻歌が始まり、それに誰かが乗っかって最後には4人で歌ったりするんだと初めて聞いた時、そんなドラマや小説の中のお手本のような家族が本当にいるんだ!と私が驚きと感嘆の声をあげると、「え!?みんなそうでしょ!?」と言った無垢な衝撃に、私はじんわりと傷ついてしまいました。
これだけだと些細なことですが、現実は一話完結型ではなく、日々積み重なり連なっていくものなので、私と恋人の間には「育ってきた環境の違いによって生じた溝」がじわじわと刻まれていきました。そのうちのひとつが、私の家の厳しさ、門限の早さだったと思います。そのことで何度小競り合いがあったことか。
恋人「今日は家泊まっていってよ!」
私「ごめんね、泊まる時は事前に言わないといけないから今日は無理だ~」
恋人「じゃあ俺がぬんちゃんのママに直接電話して俺と一緒にいるから大丈夫って言うね~!(悪気ない)」
私「やめてやめてやめてやめて」
私の恋人に対する密かな申し訳なさはむくむくと育っていきました。恋人に嫌われたくないという恐れから、友達の家に泊まると親に嘘をついて恋人と会うようになりました。私は器用な方ではないため、会っている間も内心「親にバレたらどうしよう」という不安が拭えなかったことを覚えています。そんな風に悩みながらお付き合いしていました。正しさに関してはともかく、不健全だったなと思います。
突然の別れ
見えないところでそんなことがしばしば起こっていながらも、大きな喧嘩や破局の危機もなかった5年間の終焉は突然やってきました。上着を羽織ると少し汗ばむようになってきた新緑のある日、帰り道に届いた恋人からのメッセージには「別れてほしい」という一言だけが綴られていました。
前日の夜も特に変わったところもなく、いってらっしゃい、お疲れ様、また明日ね、という何千回と交わした言葉をいつも通り交わし、突然こんなことを言ってくるのは妙だなと思い、ほとんど反射的になんで?と聞くと、想像もしていなかった返事が返ってきました。
「起きたらとなりに女の子が寝ていた。」
その時、私と恋人は少しだけ離れた距離に住み、別々の大学に通い、近くには共通の知り合いもほとんどいない状態でした。つまり、言わなければ99%私にはバレないことでした。
言わなければ分からないことは隠し通してほしいか、あるいは何もかも包み隠さず教えてほしいか。それは人それぞれだと思いますが、その時の私は前者でした。前者であることを恋人も知っていました。翌日、大学の最寄り駅にあるハンバーガー屋での話し合いの結果、私たちは別れることになりました。
話し合いの時も内心、「あまりにも違うし、その違いをどうしても尊敬できないな」と感じていました。私は動転している心を押さえつけてなんとか現実的で実際的な問題解決に向かおうとするのに対し、恋人は「そんなに冷静でいるなんて本当は俺のこと好きじゃなかったんじゃない?」と涙を流し、じゃあ私も今あなたと一緒におんおん泣いて話し合いを放棄すればそれが愛なんですか?と思った瞬間冷めました。愛の急速冷凍。言わなくていいことは言うな。
またしても言わなくてもいいことを言う地獄のカミングアウト
それからしばらくして連絡があり、家に置いている荷物どうする?とのことだったので、引き渡してもらうことになりました。私は新たな恋の入り口に立ちそれに夢中だったし、久しぶりに会った恋人(元)もさっぱりしていて、当然何も色っぽいことにはならず、長年の付き合いでお互いのことを知り尽くしているという気楽さから、その後も年に2回ほど会ってお酒を飲む友人のようになっていました。
破局から2年ほど経った、年末のことです。混み合う師走の居酒屋でおでんをつついているとき、恋人(元)が今付き合っている彼女と春に結婚しようと思っていると話してくれました。なんとめでたい!嬉しいねえ!楽しみだね!おめでとう!とすっかりお祝いムード。相手も打ち明けた安堵からか早い段階で顔色が赤くなり、上機嫌のご様子でした。
私は結婚したことがないので分かりませんが、結婚を控え、昔話をしていると誰でもセンチメンタルになるものなのでしょうか。それともこれが俗に言うマリッジブルーと言うものですか?
いつになく饒舌な恋人(元)は「あのまま付き合っていたらぬんちゃんと結婚していただろうにね~」と、微妙な話題を出してきたので、冗談じゃないわよという気持ちを抱きつつ、まぁ相手は酔っ払いだし、数か月後には人生の門出を迎えるめでたい人間だし、と思って「本当にね~」と適当な相槌を打っていると、彼は爆弾を投下してきた。
いや、どこの誰かも分からない人と浮気して、罪悪感に耐え切れず私に打ち明け、俺は最低な人間だと散々泣いて話し合う隙を与えず、しまいに逆切れして破局に至った一連の出来事を忘れたのか?
私はオブラートで何重にも包んで「浮気したのは誰ですか?」と尋ねると、ぬんちゃんが寂しくさせなかったらそんなことにはならなかった、と言っていました。私は、目の前にいるこの男を他人にしてくれたことを、神様に心からお礼を言いました。
互いの言い分
彼の言い分はこうでした。大学に進学し、これからいつでも私が泊まりに来られるとわくわくしていたのに、終電がとか、親が厳しいから外泊は、とそればかりだし、ぬんが浪人している間もずっと待っていたのに、大学に入っても実家から通うし、正直寂しかった、せっかく今までより一緒にいられると思ったのに、周りは半同棲とかしてるのに、だからあの日あんなことになった、と。
続きまして私の気持ち。確かに、家は貧しく、親は厳しかったです。門限や外泊に関して年齢不相応な鉄の掟があり、破ると酷い目に合いました。それを辛いと思っていたのは私だって同じです。友人たちには吐けなかった弱音や愚痴を、この人だったらと思って家族の話や、家には帰りたくないという本音、あなたともっと長く一緒にいたいということを、付き合っていた長い年月の間に零したこともあった。
そのたびに真剣に話を聞いてくれて、将来の話も交えながら私が実家の呪縛から抜け出せるように考えてくれていたのに、全部、本当の意味で理解してくれていたわけではなかったんだなと、初めて気が付いた時でした。
私も愚かだったし、彼に甘えていたことも事実ですが、私の家が厳しいことで自らの不貞行為を正当化しないでいただきたい。
この経験から私が感じたこと
振り返ると、「上手くいかなくて良かった~!」と思います。別れた直後はもちろんショックだったし、復縁を望んだこともないことはなかったし、その時にしか味わえない幸福な時間を与え合い共有していましたが、綻びが出てしまったことは当然だと思います。なぜなら、私たちの関係性は対等ではなかったから。
楽しい時は良いです。でも例えば困難に見舞われた時や元気ではない時、つまり普段は表に出てこないその人の心の根っこが顔を出す時に、遅かれ早かれ同じ結末を迎えていたと思います。
好きだからという気持ちだけではいつまでも一緒にいられない。少なくとも、病める時も健やかなるときも富める時も貧しき時も、この人と心を寄り添わせて生きていくことは難しかっただろうと思います。
恋愛は決してロマンティックな夢であり続けてはくれず、それだけで独立したものではなく生活の営みの一部です。果てしなく続く時間を共にするためには夢心地のときめきや甘いため息も素敵ですが、人としてお互いを尊敬できること、対等でいられることの方がもっと大事なものだと学びました。
まとめ
ここまで読んでいただきありがとうございます。以上のような経験から、「門限の早さは恋愛に影響するか?」という問いに対して、やはり私は「大きく影響する」とお答えします。
確かに私と恋人の間には容易に矯正の効かない相違がありました。しかし問題の本質は「違い」そのものではなく、「違いに対する向き合い方」だったと思います。恋愛以前に、人と人としての話です。私も、本当に未熟でした。
自分とは違うバックグラウンドを持つ者への受け皿や、他者を理解しようとする姿勢、否定しない心遣い、そういったもの全部をひっくるめた懐の広さ。それらが悉く食い違っているという事実を確信することが出来たのは、私の門限が早かったおかげとさえ言えます。それでも、時間が経ってしまった今でも「長い間大事にしてくれてありがとう」って心の底から素直にそう思っています。