注目コラム


言った本人に悪気はない。良かれと思って選んだ言葉がこれだった。だけどわたしは、あくまでもわたしは、あなたがわたしを心から想っていたのなら嘘でも嫌いと言って欲しかったのよ。

嘘でも、好きな人が出来たと言って欲しかったの。


小さな花束を手に、改札口から駆けてきた姿が忘れられない。

少し赤く染まった顔を見せ、「待ったよなぁ…、ほんまごめんなぁ。あの、これ。」と差し出しされた大きな手にはラッピングされたドライフラワーの花束。抑えられない感情に蓋をして、定まらない視線のゴール地点を探し、ゆっくりとあなたを見る。

知ってたの。あなたがどれだけ必死に、花だけを必死に守りながら人込みを避けてきたのかを。ずっと前から、角から見えたその時から、目が離せなくなっていたの。


心臓あたりがくすぐったいのを隠しながら「え!?なに!?」と驚いて見せた。大きく笑うあなたの顔を見て、あぁ、もう嘘はつけないや、と閉めたはずの蓋が緩み、感情が押し寄せる。


(好きかもしれない、好きになってしまったかもしれない。)
緩んだ蓋が落ち、感情が漏れる。

(間に合わない。隠せない。)
もう、こんなところまできてしまったのか。
落ちた蓋を手に取り、ゆっくりと顔を上げた。



手を繋いで向かったあのカフェの2階、あの2人席。花と、コーヒーと、アウトドアと、日記と、あと何だったかな。とにもかくにも、あなたの口から出る話には彩りがあり、憧れが芽生え、繋いだ手から感じ取る少し熱い温度に嬲(なぶ)られうっとりした。わたしの話に相槌を打つたび揺れる髪を、撫でてみたいと衝動に駆られた。許されるならば全てを与えたい、許されるならば全てが欲しい。盲目になればなるほど、愛を具現化したくなった。


「彼との人生が始まりました」
あの日のあの夜。どれくらいの時間を過ごしたのか、何を食べ、何を話し、何を心に誓ったのか。朝霧のように霞む記憶の中、今でもツーショット写真にこの一言を添え全世界に発信したことだけは虚しくも鮮明に覚えている。

”人生”だなんて、大きく出たな。今ならもう少し控えめに言うだろう。

だけどあの頃のわたしには、あなたの存在が、わたしを運ぶ大きな翼のように思えてならなかったんだ。飛べなかった、飛びたかったあの空へ導いてくれるだろう。見たことのない世界を、抱いたことのない感情を、きっと教えてくれるだろう。日に日にわたしの小さな期待があなたの翼を大きくさせた。いつ折れるかなんて知りもせず。


学生のあなたと社会人のわたし。

社会で働くわたしを見るあなたの目と同じくらい、勉学に励むあなたを見るわたしの目はキラキラと輝いていた。今思うと、お互いに「ないものねだり」をしていたのかもしれない。でも単純に、本能的に、無いから欲しかった。あの時のわたしだから、あの時のあなたが欲しかった。大きな翼で空を飛ぶ快感に自惚れ、二人で生きているように感じていたかったんだ。振り返ると続くふたつの軌跡が、生きている証だと思いたかったんだ。これが「共生」の形だと言い聞かせ、自分を沼に堕とし込んでいたのかもしれない。
そんなこと、知らなくても良かったのよこの時は。

お金のないわたしたちは、昔そうしたように太陽の下で汗を流し夜まで遊んだ。初めて買ったお揃いのスニーカーは、走り回ってすぐ擦り減った。いつだってブルーシート片手に旅へ出て、どこだって座って缶ビールで乾杯した。

観光客で賑わう桜の下で寝袋に包まったり、近所の子どもたちと水風船を投げ合ったり、若者に紛れて打ち上げ花火を飛ばしたり。非常階段で愛を囁き合うのも、駅のホームで隠れてキスをするのも、駆け込んだホテルで縺れるように抱き合うのも、あなたとならいくらだってできる。


”カップル”って強いんだ、二人でいるだけで、強いんだ。


その大きな翼にしがみついたわたしは終わりのない夏休みの中にいて、その大きな翼を持つあなたと終わりのない愛を築いているのだと思っていた。あなたといる時間はいつだって8月32日のようで、気付いた時には引き伸ばされた夏の先にわたしだけが立ち竦んでいたの。


「好きやけど別れたい。君を想って決めたんよ。」

結婚したい、と思っていた矢先の事。

あまりにも順調に、あまりにも身勝手に愛を育んでいたらしいわたしは宙に浮いたその一言を飲み込めず、何度もあなたを想い、何度も愛と共に毒を吐いた。初めて味わう、心がみしみしと割れる感覚。血の気が引き、力が抜け、息をするのがやっとで、生きていることが不思議だった。昨日までどう自分を生かせていたのかも、どうあなたの名前を呼んでいたのかも忘れてしまうほどに。


気持ちを声に出す作業ってこんなにも難しいの。
気持ちを涙で汚す作業ってこんなにも容易いの?



なりたかった「彼女」と、なってしまった「彼女」のギャップ。張り裂けそうだった。あなたの5秒で言い切れるその言葉でわたしは50年悩まされるんじゃないかと、張り裂けそうだった。いっそのこと、張り裂いてくれたらいいのに。恋だの愛だのは、終わりと共に全て消えてしまえばいいのに。だってそうよ。あなたは、そう。あまりにも、あまりにも無責任で、腹立たしくて、憎たらしくて、優しくて、愛おしい。


そう、その言葉は、わたしが愛したあなたそのものでしかない。
わたしはゆっくりと自分の首を絞めた。


「片思いなのに両思い」から始まった恋が「両思いなのに片思い」で終わったこと、忘れないと思う。”人生”と言ったあの日から、”人生”を終わらせるその日まで。呪縛を解く、その日まで。


空から振り落とされたらもう飛べない。こわくて、さみしくて、見上げる事すらできない。いつか行ったあの場所も、いつか話したあの言葉も、いつか揃えたあの思い出も、一体誰の記憶に生き続けるの?

あなたが想った”君”は、こんなにも惨めな”君”だった?


許し、認め、愛しなさい。

これはわたしが、わたしに刻んだ、わたしだけの教訓。
ひとつの恋を終え、ひとつの愛が去り、わたしがわたしを「許し、認め、愛する」ことができた時、その時こそが呪縛からの解放だ。願っても無かった瞬間に立ち会った時、これでよかったんだと全身を巡った息を大きく吐くことができたなら、その吐いた息は自身の許しだ。


もうここまで。
わたしは、わたしを許し、認め、愛することができる。
日常は過去となり、思い出となり、糧となり、バネとなる。

水溜まりに映る空を見て、地を蹴るわたしがわたしの人生を創ると決めた。
もうわたしは、あなたの翼で空は飛ばない。


終わった恋が教えてくれたことが二つある。

一つは、「自分に足りないものは、自分で補う」こと。


「自分-恋人=?」を考えるより
「自分+恋人=?」を考える方が良い
前者がゼロであることより、後者がゼロである方が辛く、無価値だ



当時の日記に書き殴られていた言葉には、ツンと鋭い棘があった。

あの頃のわたしは、触れると崩れてしまうような、そんな形だけの経験しか積んでいなかった。硬く、強く、どこへでも大きく羽ばたける、そんな自分を守り抜く翼は持ち合わせていない。誰かの翼を盾とし生きることで、自分は戦えると錯覚し続けていた。

「自分-恋人=?」を考えるより
「自分+恋人=?」を考える方が良い

今なら分かる。本当にその通りだ。足りないものを埋めてもらうために縋るのではなく、足りないものを足りないと言ってくれる人と向き合おう。自分には補う力があるのだから。地を蹴るわたしが、わたしの人生を創るのだから。



二つ目、「自分を幸せにできるのは、他の誰でもなく自分である」こと。

わたしの人生よ
それを生きなきゃならないのはわたしよ


スヌーピーの漫画に出てくるルーシーの台詞には、何度も尻を叩かれた。
腐っていても、朽ちていても、華があっても、眩しくても、この人生を生き抜くのは他の誰でもないこのわたし。血の繋がりも無い他人に汚されてる暇も、闇の世界へ導かれている暇も、築き上げた幸せを壊される暇ももっぱら無い。わたしはその人生の主人公であり、これからもその人生を生き抜く強さを必要としているの。


だからこそ自分で、幸せにしてあげなきゃいけないの。

主人公を回復させるためベッドへ導くのも主人公。
主人公を次なる世界へ導くのも主人公。
わたしを幸せにできるのはわたしよ。胸を張って。これがわたしの生き様よ。



「好きやけど別れたい。君を想って決めたんよ。」

心臓に切り刻まれたこの言葉は、今でもわたしの涙を誘い闇に堕とし込む。

それでも、彼と生きるこれが"人生"だと豪語したわたしでも、過去より今が幸せなのは自分の足りないものを自分で補ったからだ。自分の幸せを、自分で確立したからだ。誰かに想われるより先に、自分で自分を想う強さを身につけなければ今日まで生き抜いては来られなかった。

大きな翼は要らない。今を生きるわたしが、今を生きるわたしを照らす光であればいい。“それを生きなきゃならないのはわたしよ“。


失恋は、長い長い戦いだ。だからこそ失い、だからこそ掴んだ希望が手に残る。あの時流れ落ちた涙も、押し殺した優しさも、無駄にした愛情も、必ず自分の盾になり生き様へと変わるから。

許し、認め、愛しなさい。

心に刻んだ言葉を反芻する。
どうか今日も、そう生き抜けますように。

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