注目コラム
「私のこと好き?」そう何度も確かめていた私が、恋愛は神話じゃないと気づくまで

「私のこと好き?」

彼の気持ちを確かめるように、何度もこう聞いた。
私の何気ない問いかけに対する答えはいつも同じだった。

「どうしてそんなことを聞くの?」

私のかつての恋人は、そう答える人だった。

Contents

嘘じゃない幸せ

出会ったのは学生時代。

既に社会人として働き、私の知らないことをたくさん知っていた彼は、当時の私にはなんだか遠い世界の人のように感じた。
大人だな。カッコいいな。素直にそう思った。
程なくして彼との交際が始まり、順調に時を重ね、同棲生活が始まった。

彼の家に、少しずつ物が増えていく。
洗面所の髭剃りとワックスの横には、ピンク色の歯ブラシ、クレンジング。
それに、お気に入りの柔軟剤。買い足した洗濯バサミ。
何もなかったキッチンには、小さなフライパン、お揃いの食器、蓋を買い忘れた鍋。

私の選んだものが生活に溢れていった。

彼の世界に私がいることが目に見えて分かるようになって、それが何よりも嬉しく感じた。子供っぽい独占欲が満たされていった。

料理も、掃除も、楽しかった。
彼が喜んでくれる。それが私の幸せだった。
心からそう思っていた。
この時感じた幸せは嘘じゃない。

今でもそう思う。

小さなほころび

彼との交際を続けながら、私は大学を卒業し社会に出た。
環境が変わり、生活が変わった。家も引っ越した。
決して楽とは言えない仕事。慣れない人間関係にも疲弊し、クタクタになって家に帰る。
広くなった部屋を掃除し、夕飯を作って、夜中に洗濯物を干していた。
考え事をしている時間も気力もなかったからだろうか。つらいとも苦しいとも思わなかった。
ただ、大好きだった料理も、苦手ながらに工夫してこなしていた掃除や洗濯も、もう何も楽しくはない。彼の笑顔を思い出して自分を奮い立たたせる毎日だ。

そんな私を知ってか知らずか、タイミングよく彼はこう言ってくる。

「いつもありがとう」「俺は幸せだよ」

柔らかい真綿がゆっくりと私の首を締め付け、少しずつ息が苦しくなっていくようだった。
おかしいな、呼吸はできているのだけど。
彼からの感謝の言葉を聞くと、ほんの少しだけ締め付けが弱くなる。息がしやすくなる。
そんな感じだ。

今思えば、ギリギリのところで頑張っていた。
頑張って、一緒に居た。
それが私の世界の常識で、当たり前で、覆す必要性も感じていなかった。
私が頑張れば、彼は喜んでくれる。ありがとうと言ってくれる。好きでいてくれる。

滑稽なほど、彼が好きだった。

今までも普通に好きな人ができて、片思いをしたり、付き合って振られたことだってあった。
だからこそ、好きになった人と一緒に居ることができて、それは奇跡なようなことで、それだけで素晴らしいことなのだと私は信じて疑わなかった。

「私は幸せだ」

そう思っていた。

そう思い続けることが自分にはできると、疑うことなく、どうしようもなく純粋に自分を信じていた。

そして、小さなほころびに気づけないまま、時間だけが過ぎていった。

何かが溢れる音が聞こえる

社会に出てから、いろんな人に出会った。
忙しい生活や仕事に慣れてくると、他人の生活に目を向ける余裕ができる。
「自分のことくらい自分でやれって思う」「仕事忙しいし自炊しない」
会社の先輩や、友人が愚痴混じりにこう言うのを、ビールを飲みながらへらへらと笑って聞いていた。
私もそう思う、とは言えなかった。

自分の努力や我慢している事柄を他人に話すのは昔から苦手であったし、
何よりも、彼女らに同意することは、恋人を否定することになると私は思っていたのだ。
だから、何も言えなかった。

友人や先輩に何度も何度も言われた
「本当に彼のことが大好きだよね」という言葉。
いつからか、褒め言葉には聞こえなくなった。
恋人に尽くす私を、盲目で未熟な女と嗤っているのではないか、そう思うようになった。

彼にちゃんと言わなければいけない。
このままでは自分は変わってしまう。
幸せな夢から覚めてしまう。
彼を好きでなくなってしまうかも知れない。

だから、彼にほんの少し変わってもらおう。少しだけお願いしてみよう。
そう思い始める。

彼は優しい人だった。
お願いすれば大抵のことは「わかった」と返事をしてくれる。
もう少し家事を手伝ってほしい、といえば洗濯や洗い物を時々してくれるようになった。
忙しいのはお互い様だ。それに、年上の彼は会社で地位のある人間で自分より気苦労も多いのだからとそれ以上は何も言わなかった。前よりはやってくれているのだし、いいじゃないか。
贅沢はよくないよと自分に言い聞かせた。

彼は変わってくれたのだと思った。

他のことももう少し、お願いしてみよう。そう思い始めた。
少しずつ、少しずつ。
時間がかかってもいい、私は彼と一緒に居たい。これからも、ずっとだ。
そのためには、ちゃんと伝えなくてはならない。
自分も、変わらなければいけない。

「好き」ってなに?

「もっと、好きとか言ってほしい」
「触れ合ってほしい」
「ちゃんと、私を見てほしい」

この言葉を口にできるようになった時、私の目からは堪えられなくなった涙が流れていた。

なぜ、言わなければ何もしてくれないのか
なぜ、自分から「好き」も「可愛い」も言ってくれないのか
どうして、私の身体に触れてくれないのか
もう私のことは好きではないのか

勇気を振り絞って伝えるまでに、何年もかかった。

私がどうしようもない劣情を吐露したその時、彼はこう言った。

「好きに決まってる」

そして、こう続けた。

「知ってたのに、ごめん」

時が止まったのかと思うほど、頭が冷えていった。
「好き」ってなんだ。
「知ってた」ってなんだ。
好きだったら、なんでもいいわけじゃない。
気持ちだけじゃ生きていけない。
愛は形にできる、言葉にできる、行動に移せるはずだろう。
思うだけじゃ、ダメじゃないか。

もう一度、考えてみる。

あなたにとって「好き」ってなに?

我儘で、贅沢な自分

「好き」ってなに?
そう疑問を抱いた瞬間、どうしても認めたくなかったある事実について私は考え始めた。

私はこの人では「足りない」という事実。

長年一緒にいたからこそ、本当はわかっていた。
彼が私を心から好きでいてくれていること。自分なりに愛情表現をしてくれていたこと。浮気なんて、出来る男じゃないこと。

ずっと見ないふりをしてきた。
薄々気づいていたその思いを無視し続けたのは、彼と離れたくなかったからだ。
違う誰かに満たして欲しいわけじゃない、他でもない彼に満たされたかった。それだけなのだ。
いつか、彼も、そして私自身も変われると思っていた。

それでも自分は、足りなかった。
満たされることもなく、変わることもなかった。

「好き」ってなに?

今度は自分に問いかける。
彼との思い出、してくれたこと、魅力的だと感じた部分。
様々なシーンが頭の中に溢れる。言葉も溢れる。溢れて、溢れて、ついに涙が止まらなくなった。うまく喋れない。バカだな。

嘘じゃなかった。私は彼のことがちゃんと好きだ。

好きじゃなくなった、のではない。
「好き」の気持ちだけで、蓋ができないことが増えすぎた。
そして、いつからか大事な時にする蓋をなくしてしまって、もう見つからない。

蓋を買い忘れたキッチンの鍋と一緒だ。
弱火でコトコト煮込んで、注意深く目を離さず、必要があれば蓋をして閉じ込めることができるはずなのに。
蓋がないんじゃしょうがない。目を離して、中身が溢れたら全部こぼれて、終わり。
一からやり直そうなんて、もう思えない。

自分のことも、彼のことも、諦めざるを得ないのだと唐突に理解した。

そもそもだ。
人を変えようとするなんて、馬鹿馬鹿しくて、烏滸がましかった。
私は何様のつもりだったのだろうか。

我儘で贅沢な自分を認め、もう許してあげようと思った。
自分の心に嘘をついてまで誰かと一緒にいるのはやめようと決めた。

彼も私も悪くない。
お互いにできる範囲で愛情表現をしていたのに、一方が満たされないという現実。

それってつまり。

「私たちは運命の相手じゃなかった」

私はこの時初めて、恋愛は神話じゃないということを知った。
恋愛は思っていたよりもずっと現実的で、残酷で、足りないものがあればあっけなく終わるものだった。
好きならば何でも乗り越えていける、そんなのは幻想だ。

思考の読めない他人同士が満たし合い、お互いが納得できる形で共生すること。
それが上手くいかないのは、求めるものとその質量に覆し難い相違があったからだ。
きっと、誰のせいでもなかった。

「私のこと好き?」
そう何度も聞いてきた。

彼はいつも少し怒り気味に「どうしてそんなことを聞くの?」と言った。

私はこの問いかけに、いつも上手く答えられなかった。
自分でも、なぜそんなことを聞くのか分からなかった。答えようがなかった。

今なら、わかる気がする。答えることができる。

「足りない」ことを知らなかった自分はもういない。
私は我儘で贅沢で、そのくせそんな自分が嫌いな、面倒な人間なのだ。
げに恐ろしい事実だが、認めるしかない。
話はそこからだったのだ。南無。

「運命の相手じゃなかった」

そんなことすら、今は思わない。
運命なんてなかった。
他人と一緒にいるために、満たされた時間を過ごすめに大切なのは、
誰かを理解しようと思う前にまず自身を理解することだった。
少なくとも、私の場合は。

世界は意外と苦しくない

自分にできる範囲のことを精一杯やってみて、試して、それでも満たされない時はある。
結果的に気持ちが溢れて、蓋ができなくなって、戻らないこともある。
それはとても悲しいことだけど、きっと誰にでもあることで、"ダメなこと"じゃない。
好きになった人を、ありのまま受け入れられない自分がいたっていい。
そんな自分を、許したっていい。

誰かと向き合うことは怖かった。そして、汚い自分を認めるのはもっと怖かった。

けれど、認めてしまった今は、ゆっくりと首を絞めつけていた何かがスルスルとほどけたように息がしやすい。
そして、気のせいかもしれないけど。
なんだか前よりも、吸い込んだ空気が美味しく感じる。

Twitterでフォローしよう

おすすめの記事