注目コラム
拝啓、親愛なる人間の屑へ

初めましての方は「初めまして」そうでない方は「久しぶりね」もしくは「いつもありがとう」

コラムとは挨拶から始めるのが定型文なのだろうか。
「こんなことになるのなら小説ばかりでなく、様々な書冊に触れるべきだった」などと自身の不甲斐なさに嘆いていたが、有り難いことに担当者様いわく「本音を自由に表現いただけば幸い」との事なのでいつも通り肩の力を抜いて、それでいて強がりな私らしく言葉を綴れたらと思う。

しかし学もなければ、至らぬ点の多い私だ。
日常生活の中で容赦なく飛び交う罵詈雑言により培われた口の悪さが文章から垣間見えることもあるだろう、どうかご容赦願いたい。
そんな露骨な保険はさておき、そう懐かしくない昔話に付き合って頂こうと思う。

Contents

題をつけるまでもない恋

高校2年、とある麗らかな春の日に一目惚れをした。大きな口と長い首、綺麗な形のアーモンドアイが特徴的な男の子。親友に浮気相手、恋人。その時々に都合良く名前の変わる関係性の中で募る不信感と消えゆく純粋な恋心、芽生える依存心。
生涯忘れることのない五年間を描いたノンフィクション・ストーリー。

文庫本裏に書かれるあらすじはこんなもの。
そして、このあらすじが全てだ。
「なんのこっちゃ」と頭を抱える人もいるだろうが、今更語れることもない。第三者視点で完結に表現をするのであれば「一目惚れをした典型的な人たらしのバンドマンに散々都合のいい女として扱われた女の五年間」といったところだ。小説の題材として取り上げるにはいまいち、本当にありきたりでよくある失恋話。
しかし、主人公である私にとっては間違いなく唯一の恋だった。第三部作の長編小説にしても足りない程の、遠い未来可愛い孫にまで語り継ぎたい代物の恋。

“恋だった”と明記しているが、私は未だにこの失恋を完全に消化し切れてはいない。
真っ白なテーブルクロスに置かれた年季の入ったグラスのふち、今も尚この厄介な感情は残滓として存在している。

端的に言い直そう、忘れられないのだ。

彼以外の人間と手を繋ぎ、愛を囁き合う日々を過ごしていても片時も「忘れた」ことはなかった。
「女は上書き保存、男はフォルダ保存」とはよく言ったものだが私には出来た試しがなく、確かに目の前の人を心から愛していたとしても「過去に愛した人」として、彼は図々しくも脳裏に居座っているのだ。思い出すことすらない程、当たり前にいつもそこにいた。
脳裏の彼に向ける感情に名前はない。未練と呼ぶには美しすぎて、執着と呼ぶには幼すぎる曖昧なそれ。

前菜はおろか、メインディッシュにデザートまで米ひと粒残すことなくペロリとたいらげたにも関わらず、食前にピッチャーで一度水が注がれただけのグラスに口をつけることを惜しく思う。
そして、周りの優しい人々は「飲み干そう」と私の背を撫でる。
「腹も膨れているし、喉はこれっぽっちも乾いちゃいないの。それに飲み干すほどの量もないわ」
そう主張しても、首を横に振り「それでも飲み干そう」と哀れみの目を向けるのだ。

飲み干さなくてはいけない
それでも、グラスに手を伸ばすことを躊躇う
それを繰り返すだけの日々

声がする「新しくお冷をお注ぎしてもよろしいでしょうか?」

その通り、勿論新しいグラスに水が注がれることもある。
それは爽やかな檸檬の香りがしたり口当たりの優しい桃の味がしたり、その時々に変わる。
生温くなってしまったであろう、それとは比べ物にならないほど瑞々しく私の身体を潤してくれる。

「これが幸せというのだ」

わかっている、わからないわけがない。

これは所謂たられば話だが、ひょんなことから天地がひっくり返り、それにより気が触れてしまったのであろう脳裏に居座り続ける彼が「もう一度」と手を差し伸べてくれたとする。
残念ながら、私がその手を再び握ることはない。
コンマ一秒悩むこともなければ、伸ばしてくれた手を振り払うことにきっと後悔すらもしない。
それが、幸せのための正しい選択だ。

「人間腐るほどいるんだから」

そんなことも私自身が誰よりも知っているわけだ。
彼以上の人間を数えたら両手数じゃ到底足りなくって「この人しかいない」はあり得ない。
水が尽きることはない、川をせせらぐ水音が途絶えることはないし、海底は私の想像では追いつかないほどに深い。

22年間生きていれば、嫌でもわかってしまう。

「お前を幸せにする人は沢山いる」「比べる必要なんてない」「友達としては良い奴だけど、恋人には向いていない」「何をされたか忘れたの?」「俺、クズだからさ」

わかっている
わかっている
わかっているよ

「それでも」

是非を問おう、きっと満場一致で私が「正しくない」と指をさされるのだろう。
客観的に物事をみている第三者の言葉はいつだって残酷なまでに正しい。そして問わずとも、この身で体感していた私がわからないわけがない。

「それでも、それでもね」

好きだったのに、そう簡単に忘れられるわけがないじゃあないか

彼へのこの曖昧な感情が私を私たらしめるわけではなくとも、私自身を形成するには必要不可欠で、彼なしでも生きていかれたかもしれないけれど、彼なしで今の私は存在しないのだ。
失ってばかりじゃなく、得たものは溢れんばかりに沢山あったはずなのに「なかったこと」になんて出来やしないんだ。

私が失ったのは特定の相手への恋愛感情だけで、それ以外は何も失われてなんかいない。

あゝ、認めてしまおう
時折あなたが恋しくて堪らない夜があることを。過去に与えてくれた言葉で身勝手に救われてしまう日の朝焼けはいつも綺麗だということを。

あなた無しでは生きていかれない私ではなかったけれど、人間の風上に置けない屑のようなあなただったけれど、誰から見ても悲劇でしかなかったけれど欠片も後悔していないよと言ってしまおう。

記憶の中、僅かにまだ温度のある思い出たちは道を阻むものではなく背中を押すものであってほしいから糧にしてしまおう。

忘れられないのなら、一生寄り添うものなら、せめて綺麗であってほしいから美化してしまおう。
楽しかったよ、大好きだったよ、ほんとうに、ほんとうだよ。

「辛い、助けてほしい」

今になって思い返せば、助けを求めたいのは間違いなく私の方だったわけだが、それでもあの日の私は勝手に救われた。
人生で初めて味わう煌めくスローモーションの世界、不謹慎にも人の涙を「綺麗だ」と感じ、未知の感情に訳もわからず身震いすらした。あの日を越える昂ぶりを未だに知らず、きっとこれからも思い出しては救われてしまうのだろう。

アパートに元々設備されていたのではないかというくらいに、春でも自然とそこにあり続けたこたつに潜り居眠りをしていた優しい日々を。濡れた髪と何度も見てきた綺麗な横顔を、何度だって「戻ることのない綺麗な思い出」として感傷に浸っては、前に歩き出すのだろう。

向き合い方一つで、毒にも薬にもなる。

「忘れたい」に藻掻き苦しんだところで忘れられないのなら、開き直ってしまったほうが早い。
無理に忘れる必要なんてない、嫌わなきゃいけない理由はない。
なかったことにして一から始めるよりも、思い出と寄り添って生きてしまえ。

これからもきっと、グラスの淵の残滓に口付けることはない。
真っ白なテーブルクロスに残されるグラスの中身を飲み干す方法を考えるより、グラスのそばに添える花を選ぶことに胸を踊らさていたいのだ。

拝啓、親愛なる人間の屑へ

遠い未来、あなたを目の前にした私は中指を立て「あなたのおかげよ、ありがとう」と言って絵に描いたような幸せそうな笑顔を見せる事でしょう。
その時は、どうか笑い返して「どういたしまして」と言ってください。どんな表情も魅力的ですが、笑った顔が一等男前ですから。
あなたと再び、心から笑い合える日を心待ちにしております。

白露の候、残暑和らぎ新しい季節を運ぶ風に吹かれる窓辺からあなたを忘れることのない私より

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