注目コラム
恋愛を通して見る、自分自身

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あいさつと自己紹介

こんにちは。普段はTwitterやInstagram、YouTubeなどのSNSで自分のライフスタイルや私意を発信している者で、一般の高校三年生です。hanaと言います。

今回書かせていただく文章は恋愛を通して理解して消化し、向き合ってきた、家族や自分自身についてのお話です。

私の人生はまだ17年という時間しか経っていません。17歳なりの体験と気持ちです。読者の方からしてみれば高校生の戯言かも知れないし、多感な時期のいっときの感情なのかも知れません。でも私の体験や境遇を知って、楽になる人や、自分の知らない世界を知れる人などがいればという気持ちで書きました。と言いつつ自分の気持ちの動きをアウトプットしたかったのも本音です。私の中学生からの得意技「考えすぎ」の軌跡に是非最後まで、お付き合いください。

境遇

私の親は過保護だ。一人娘である私を大切に、神経質に、育てている。趣味も合えば話の波長も合う。家族仲は良い。かなり両親を頼りに生きているし信頼もし合っている。有り難いことだと思う。人として好きだ。

でも親としては辛い。

母はすごく繊細で父はそれをフォローする、私は精神的な部分で頼れなかった。私が弱音を吐いたら母はどうなる、私が泣いたら母はどうなる。甘えられなかった。悩みもむしゃくしゃした様な気持ちも学校であった嫌なことも、話した記憶は一度もない。空気を読んで、気持ちを考えて、察して、どんな言葉をかけたらいいのか。それだけが分かるようになった。的確な言葉で父に混ざって母に優しい言葉をかけたり、話を聞いたり、気持ちの言語化を手伝った。子供らしくいることができない環境だった。

初めての恋愛

初めて真剣に付き合うという経験をしたのは中学2年生だった。約2年間ほど関係が続いた。
彼は私の家のようだった。勝手に家族にしてしまっていた。

辛いこと、楽しいことを対等に話し合って、悩みは彼に話した。ひとつの疑問にお互いの意見を持ち寄って話し合えた。それが楽しいと感じられる関係だった。精神的に甘えていたというか、頼っていた。初めて自分の弱みを理解してくれる人間が私のことを認めてくれたことに安心したし嬉しかった。やっと私を丸ごと愛してくれる人が現れた。革命的だった。

結果的に本来だったら親が担うべき役割の一つを彼が担っていたと思う。家族といても「帰りたい」と思っていた。彼と時間を共有している時が一番そのままの自分でいられた。

この時点で私自身は満たされていたけど、すでに単純に恋人という関係ではなかった。恋人という存在を超越したような関係だった。彼なしでは生きていけないと本気で思っていた。依存していることを自覚していたけど、彼がいなくなることがどうしても怖かった。拒否されるのが怖かった。

失望

恋人という存在に夢中になっている一方で、私は両親に異性との関わりを全否定されていた。それは今でも続いている。物心ついた時には異性とは無駄に関わるな、と教えられていた。遊ぶことなども許されなかったし好きな人も作っちゃダメだった。両親曰く、男は信用できないらしい。

必死に大切な彼の存在を隠した。バレたら母はどうなるだろう。でも私という人間を今生かしているのは間違いなく彼の存在で、母にバレるというリスクを冒してでも彼と一緒にいるのは自分を守るためだった。母も大事だけど、自分のことも大事だった。

結果的に2年も付き合っていれば数回は彼の存在が両親に見つかり、大乱闘だった。その時両親は彼のことを「変な人」と言ったのだ。私は一生忘れない。

別れさせられた後「数日間は寂しく感じるかもしれないけど、数日経てば忘れるから早く忘れてね」と言われた。私は一生忘れない。

なんで私のことは愛してくれているのに、私が大好きな人のことを「変な人」と言えるのか。誰のおかげで、わたしは漠然とした孤独の中にいて、彼に依存していったんだろうか。その頃から、両親は私との信用を異性関係で測るようになった。私は本当のところ愛されてないんだと感じたことを覚えている。

現在

恋愛がひとつ、また一つと思い出になり、私も少しだけ大人に近づいた。振り返ると私が過度に悲観的になっていたところも確かにある。両親は両親なりに私を愛してくれていたし、私が最初で最後の子育てだし、両親だってそれぞれ1人の人間だ。仕方ないのだ。私だって万が一家族ができた時に家族が望むような愛し方をできる自信なんてこれっぽっちもない。十数年前に産んだ我が子が自分らの愛し方に満足できずに彼氏に依存してるなんて想像も出来ないし、知った時にはおったまげる。当時にはなかった想像力がつき、人の立場になって考えることができるようになった。

適当でいい、今のところは。

そして今、私は「適当」であることを覚えた。

まだ恋人という友達より距離が近くて家族とまではいかないような存在に、そのままの自分を認めてもらうことを求めているのか、異性との関わり禁止の反動からか、私は根っからの恋愛体質だし多分これからもそうだ。

いくら母と父の子だとしても私は私で生きる必要がある。「適当」であるしかない。私が私であるための嘘は、許されるものなのだろうか。私はこの類の嘘に、両親の私の愛し方が少しだけズレているという事実と同じような仕方なさを感じる。

嘘とは言いたくない。「適当」と呼ばせてほしい。

過去が私の恋愛に与えている影響

自分が一番相談したかった人に相談出来なかったことや、人の気持ちを考えることが家族関係の中でデフォルトだったことが影響してなのだろうか。自分の性質を無理やりこじつけているのだろうか。実際のところ半々なのだろうが、恋愛がどんどん辛くなるように感じた。私は我慢がすごくできる。

伊達に恋愛体質をやっていないので、恋人や好きな人に理想を押し付けることはよくなくて、基本的に恋人を尊重し、そのままの人柄や価値観や習慣を愛せないのなら、歩み寄れないのなら、一緒にいるのはお互いにとってフェアじゃないと身をもって知っている。

知っているけど、まだ理想を求めてしまう部分もある。ここで言う求めるっていうことは、直接言葉にせずとも心の中で思うことも含まれている。

自分たちが思っているよりも、心は人に伝わっている。意識せずとも態度や声色、表情などに出るのだ。受取手ははっきりと分からずとも居心地の悪さとしてしっかりと感じ取っている。

我慢してるのは相手が近くにいてくれればいてくれるほどに伝わる。もし伝わらなければどんどんと私が我慢する場面が増える。どちらにせよ辛い。

そしてだんだんと何か理由をつけて、相手を正当化しはじめる。「私に依存しないで趣味や友達に時間を使えることを尊敬する」は「寂しい」の裏返しだ。「寂しい」のは趣味や友達に時間を使えない私が空っぽだからだ、辛いのは全部自分のせいだと本気で思ってしまう。いつでも彼を悪者にできない。好きなので。好きな人のことを本当に悪く言えないし、ましてや別れの彼との最後で彼を悪者にするなんて絶対にできない。好きなので。

わかっているけどできないこと

私はもっと自分に喝を入れて自分に優しくなるべきだ。当たり前のことが恋人がいると頭から抜ける。
「一生ものの付き合いは自分自身以外存在しない」のだ。

愛や恋や大切にすることや思いやること、全部大事だけど、それらをすることで一生ものの付き合いの自分を圧迫することは違う。彼氏がいようがなんだろうが「私は自分が一番」くらい思っててもいい。私は、ここでも「適当」であることを覚えるべきだ。ちょうどよくあればいい。そして我慢はさせてる側も辛い。

愛されていても足りないのなら別れを選ぶことも間違いじゃない。
別れは縁がなかっただけだ。経験上、冷静に別れを分析するとタイミングが悪かっただけ。もし彼に25才で出会っていたら婚約してたかも知れないし、一年後に出会っていたらもっと長く付き合っていたかも知れない。知らんけど。知らんけど、でちょうどいい。悲観しすぎて辛くなるのも自分に優しくない。このくらい適当でいいのだ。別れたって、恋人になりうる人は星の数ほどいるし、私は一生黄金期なので全く問題ない。

だから私は一生黄金期であるために、明日も可愛いことに貪欲に生きて行こうと思う。

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