過去に縛られることってありますか。
私は、よくあります。
何をするにしても、過去が私に絡みついて身動きが取れなかった。
恵まれない家庭環境、暴力、愛されなかった過去。
その過去は今の私を蝕んでいった。
どんなときにも感じる劣等感。
自己肯定なんてできなかった。
こんな私だから、初めての恋人にどう向き合えばいいのかわからなかった。
彼といる時、今までにはない楽しさはある。
でも反対に、苦しくなる。
私と彼の生き方の違いが浮き彫りになっていく。
幸せな家庭環境、褒められて育てられた、愛のある世界。
私にはキラキラしすぎて、眩しすぎて、目が痛くて、つらかった。
いいなあ。私もそんな家庭に生まれていればもっと幸せだったかな。
彼は友達思いで、家族思いの優しい人。愛されてきた人。
それに比べて、わたしは。
無意識に、彼と比べてしまう。
「長生きできるといいな」と笑う彼の隣で、同じように思えない自分がいる。
楽しそうでいいな、羨ましいな、幸せだろうな。
嫉妬。
あー、汚いなあ、わたし。
「苦しい時は支えあっていこうね」
彼がそう言ってくれたのを思い出す。
もし私の過去を打ち明けることが出来たら、もし私の汚い感情を伝えることが出来たら、私は救われるかな。
彼に私の過去を話したところで、過去の記憶が変わるわけではない。
意味がない。わかってる。
でも、もし話したら、彼はどんな態度をとるだろうか。
同情されるだろうか。面倒くさい女と思われるだろうか。
静かに私の元から消えていくのだろうか。
やっぱり、言えない。
でも、隣にいると比べてしまう。嫉妬してしまう。彼の笑顔もまともに見られない。
隣にいていいのかな?過去を隠して、醜い感情も隠している、こんなに汚い私が。
こんなことを考えていたら、付き合っている意味がとうとう分からなくなった。
「別れようか」
そういった時、彼はいつもの通り、冷静さを欠かなかった。
「どういうこと?」
彼がじっと目を見つめてきたから私は目をそらした。
だって仕方ないでしょ、私は釣り合わないんだから。汚いんだから。
私の過去が明るかったら、彼と一緒に並んで歩くのが楽しかったかな。
私が愛されていたら、彼からの愛も素直に受け取れたかな。
彼と自分を比べずにいられたのかな。
素直に、彼を愛せたのかな。
沈黙の後、彼が口を開いた。
「僕はいつまででも待つから。苦しいことは言ってほしい。」
彼も私が過去を隠しているという事は気づいていた。
私を想う、優しい言葉。でも私は甘えられなかった。
「言ったって、何も変わらないよ。」
彼の優しさに手を返すような言葉。でも彼は強くて、やっぱり優しくて、
「変わらないかもしれないけれど、僕はそばにいる。ずっと待つよ。」
そう、言ってくれた。
嘘つきだと、心の中で呟いた。愛想を尽かしていなくなるに決まっている。
でも、別れるのは、もう少し先でいいと思った。
それから何日も、私は自分の過去を打ち明けることは出来なかったけれど、彼は一回も催促をしなかった。そして、ずっと、私の隣にいてくれた。
過去を思い出して、泣いてしまった時も、彼は隣にいて、何も聞かずに抱きしめてくれた。
ずっと、待っていてくれた。
私の過去を打ち明けて、この汚い感情をさらけ出したとして、何が変わるわけでもない。
過去は暗いまま、その影を一生背負って生きていく。
わたしは、汚いまま。そんなの、分かってる。
でも、彼は。
彼なら、そんな私を、愛してくれるのかな。
帰り道に寄る、人気のない、見慣れた公園。私たちはいつものようにブランコを漕ぐ。
夕焼けの赤が彼の髪に反射して、きれいで、好きだなって、思った。
漕ぎつかれた彼がベンチに座ったので、私も、彼にもたれかかるようにして座った。
お互い、何も言わなかった。ただ、遠くを走る車の音、風が木の葉を揺らす音だけが聞こえている。だんだん空が暗くなっていく。その間ずっと、彼氏の体温を感じていた。
そして、言った。
「過去にね、苦しいことが沢山あったの。」
自分が思っていたよりも、するりと声が出た。
彼氏の顔は見えなかった。長い沈黙の後、一言、「うん。」とだけ、聞こえた。
それから私は自分の過去について話し始めた。
つらくて仕方なかった毎日。生きていてつらかった日々。
暗くて、重すぎる過去。
私をずっと縛り続ける記憶。
嫌いな自分。
彼の隣を歩くときに感じる劣等感、彼に対する嫉妬感情。
全部全部、打ち明けた。
彼はずっと、黙って聞いていた。
思い出したら苦しくなってきて、途中言葉が出なくなって、勝手に涙が出てきた。
何度も言葉に詰まった。
彼氏は私を後ろから抱きしめて、手を握って、落ち着くのを待ってくれた。
そんなことを繰り返しながら、私はゆっくり、噛みしめるように話した。
全部話し終えた時には周りも暗くなっていた。
彼の顔は見えなかった。
長い沈黙の後、「教えてくれて、ありがとう」とだけ言って、彼は私を抱きしめてくれた。
それだけで、十分だった。
打ち明けた後、何日経っても、彼は私の隣からいなくなることはなかった。
てっきり私は、「こんな重い女といられるか」って、どっかに行くもんだと思っていたから、いつものように隣にいる彼氏に拍子抜けした。
打ち明けたところで、暗い過去が変わることはない。時々思い出してうまく笑えなくなる。彼氏の隣を歩く自分が汚い存在に思える。
でも、なんだか、彼の隣にいると安心できるようになった。
自己肯定感なんて無い。でも、自己受容は出来た気がした。
これがわたし。
この汚い人間が、わたし。
それを丸ごと包んでくれるのが、彼氏。
私は前より笑えるようになっていった。
帰り道に寄る、人気のない、見慣れた公園。日が暮れていた。
私たちはベンチに座って他愛もない会話をする。
前と違うのは、私の過去を、汚い部分を、彼が知っている事。
それだけ。でも、私にとってそれは大きかった。
座っている彼に、私は抱きつく。ふざけた冗談を言いながら、私は彼の頭をくしゃくしゃにしてやって、ふざけてみる。楽しい。
彼は私を抱きしめて、私の身体に顔をうずめて黙っている。
「どうしたの?」
そう聞くと、彼は小さく嗚咽を漏らした。
その時初めて、彼氏が泣いているのを見た。
「ごめん!どっか痛かった??」
困惑する私。彼氏が私の前で泣くことはなかったので、本当に驚いていた。
彼氏はそれに答えずただ私を強く抱きしめるので、私は、ただ彼の頭を優しく撫でる事しかできなかった。
すると彼氏が、突然私に言った。
「ほんと、いままで、がんばったね」
絞り出すような声だった。
「あの日から、沢山考えちゃって。つらい過去があって、こんなに頑張って生きているなんて知らなくて。沢山つらいことあったのに、何も悪くないのに、一人で頑張ってきたんだね。偉いね、本当に偉いね。」
そして、私の目を見て言った。
「これからは僕がいるよ。ずっとずっと、愛してる。」
私は、この時、初めて、心の底から幸せだと思った。
本気で、泣いた。
過去は一つも変わらない。痛い記憶も、苦しい毎日も、何一つ変わらない。
でも、今の私は変わっていた。
汚く感じていた自分を、丸ごと彼氏に愛されてしまった。
私は、私のままでいいのだと認められた気がした。
この日から、私は少しずつ自分も愛せるようになった。
彼と自分を比較することは少なくなった、嫉妬感情も湧かなくなった。
その分、彼氏のことを愛せるようになった。
過去に縛られることは今もたまにある。
過去の記憶を思い出して、苦しくなる。
でもそんな時、私はもう一人じゃない。
苦しい時に、彼が近くにいて、私を抱きしめてくれる。
今思えば、私、愛されたかったんだな。
ありのままの自分を、愛してほしかったんだな。
過去にとらわれて、自分ですら自分を愛せなくなって、何も信じられなくなって。
でも彼が、私を愛してくれた。
ほんと、それがすべて。
過去は暗いけど、今、幸せです。