「会いたい」は愛
だけど会うことが愛の全てではない
はじめまして
☁️です。
すっかり涼しくなって秋の匂いがしますね。
心地いい風
美味しいご飯
目に飛び込んでくる色彩
好きな人の体温
四季の中で秋が1番好きです。
とっても素敵な機会を頂いたので、今日はわたしの今世の恋愛におけるテーマについてお話しします。
ここでは、
“「会いたい」と言うくせに実際には会おうとしてくれない。本当に会う気あるのかな…”
というような類の話は別次元
わたしが話したいのは、会いたいという気持ちを一点の曇りなく信じられる相手との間での「会いたい」について
Contents
会いたいについて考える
ちょっと一人の時間が欲しいなを繰り返して一生会わなくなってしまった人がいる
「会いたくないわけでも冷めたわけでもなく、そもそもそんなに会わなくても大丈夫なタイプなんだ、会いたいとは思っているけど」
と申し訳なさそうに言ったその人は、本当に会わなくても好きだし会えなくても平気だったらしい
「明日はちょっとゆっくりしたいな」「1人の時間が欲しいな」
という言葉が、トラウマ
予定が合った日の前日に貰うこの言葉ほど絶望的で、虚無感に襲われる言葉はきっと無い
・1人の時間を自分で作ることが極端に苦手
・恋人も友人も家族の予定も全部楽しいから予定が空いていたら行きたいと思う
・自分の時間が削られて疲弊していることにギリギリまで気づくことができない
そもそも人との時間と自分の時間を天秤に掛けるまでもなく誰かとの時間を選ぶわたしにとって、前日の「明日はちょっとゆっくりしたいな」はこの世の終わりみたい
自分からしつこく会いたがるタイプでも、会えない日は寂しくて何も手につかないタイプでもないのに、トラウマ
そういう日もあるか、と肯定することはできても
わたしにもそういう時あるよ、と分かってあげることは出来なかったから
もしくはそれほど好きだったからなのかもしれないけど
会わなくても好きでいてくれるならそれで良いと思ってはいたけれど、なんとなくいつも寂しかった
「会えないとゆう事より何よりも悲しいのは君が僕に会えなくても平気ってゆう事」
という歌詞を聞いて今までずっと言語化できなかった気持ちはこれだったんだと分かった日、これまでが嘘だったかのようにスッとお別れした
自分が変わる勇気もないくせに相手には変わって欲しいだなんて烏滸がましくて傲慢だな
会いたいと思う頻度が違うということは苦しい
「会いたい」で愛のすべてを測ってはいけないのだけれど
また、会いたいについて考える
22歳にもなったら、次第にその言葉の意味がちゃんと分かるようになった
「1人でゆっくりしたい日もあるよね」
「今日はのんびり家で映画でも見たいや」
いつの間にか自分でもこの言葉を使うようになっていった
会いたいけど会わない日もあっていいんだな
相手を尊重し 離れている時間さえも愛おしい
画面越しに伝わる温度 日々穏やかな気持ち 優しい声
これがきっと愛 紛れもなく愛
理解できるようになったのではなく、わたしの好きが前とは変わってしまったのかもしれない
あんな想いもう二度と味わいたくないと思うからこそ、あの情熱的な気持ちが可愛らしくて恋しい
忙しい時、疲れた時、大切な人の気配を画面越しに感じながら一人家でゆっくりしたい
そんなふうに思う瞬間が自分にも出来た今、この気持ちは相手への感情とは全く切り離されたところにある自分自身の感情であって、あの時あんなにも寂しがる必要なんて一切なかったな、なんて思った
わたしは会いたいについて考える
例えば、会わないと満たされないことなど数えてみなくても山ほどある
目を見て伝えたい言葉
見逃したくない表情
いつもと同じ体温
二人で行きたいお店
かわいい寝顔
そもそも電話やLINEでは話せる内容にも時間にも限りがあるし、
これは会って話したいんだ、と丁寧に取っておいてしまう話まであるもんだから尚更だ
さらに、簡単で当たり前な話、チャットや通話やビデオなどによるオンラインコミュニケーションがどれだけ発達し一般化されようと、会うことに取って代わることなどきっと不可能
会うこと以上に相手を感じられる手段なんてきっと無くていい
でも「会いたい」ならそれでいいやと思う
会えない時間に会いたいと想い合うというのもそんなに悪くない
会えなくなってしまう日が怖くて、会いたいについて考える
わたしは会うということに人一倍敏感で
それでいて鈍感なのだと思う
極端な話、一生会えなくてもいいのかと言われたらそういうわけでは無かったけれど、ある程度までなら相手の意思を尊重したかった
会いたいなら会えなくても平気
「会いたい」は愛だから
ある日わたしに
「忙しい 疲れた ひとりになりたい って時にこそ、君に会いたいなって思うよ」
と言ってくれた人がいた
そうか、そんな風に思ってくれる人もいるのか
あるいはそんな人に出会えていなかったからいつまでもこんなことをグルグルと考えてしまっていたのかな
会いたいけど会わないってなんだろう
わたしはまだそんなに大人じゃないな
そしてまた振り出しに戻るよ
もちろん一緒にいた時間の長さよりも、その密度の方が大事なのかもしれません。しかし、長く付き合うということは良くも悪くもその人が自分の恋愛観の一部になり、基準になり、囚われ続けるという事だと思います。
月日が経てばあんなこともあったなと笑えるようになって、悲しい気持ちになることなんてもう無いけれど
ずっと頭の片隅にいて、日常の些細なものにあの時の片鱗を見てしまう。
ふわっと香った匂いひとつで不意にあの日に引き戻されてしまう。
思い出すきっかけになる物事が増えすぎる。
未練なんてそんな単純な話ではなく、あの日自分が抱いた感情の一つ一つは無かったことにはできないということ。
美化された思い出も肥大化した心の傷も
全て過去という名の呪い
だけどその記憶ひとつひとつが、
今のわたしを 今の恋愛観を 今の価値観を
構成しているのだと思います。
大切にしたい人がいて、悲しませたく無いと思う。
共有できる趣味がたくさんあり、衣食住に関する好みがとても似ていて、毎日でも一緒にいられるな〜なんて思いつつ、お互いがお互いの時間を持ってしたいことをして、週末には二人の時間を楽しむ。
「次はいつ会おうか」
次予定が空いている日はいつか、ではなく、次はいつ頃会おうかという会話
次会うその日まで、何の不安もなくそれぞれの時間を楽しむことができる魔法
一緒にいる時間と離れている時間のコントラストが、その人の魅力そしてわたし自身の魅力を、より一層高めているのだろうなと思います。
「会いたい」について
という文章は、かつてのわたしが書き殴ったものを読みやすいように整えたものです。
今のわたしが修正するとしたら初めから全部。
わたしが欲しかったのは「会いたいという言葉」自体なんかではなく
言葉にしなくても伝わる「会いたいという気持ち」だったみたいです。
いまなら分かるのです。
そして分かることができるわたしであなたに出会えて本当に良かったと思います。
また誰かのことを同じように愛せてしまう自分に悲しくなる夜
忘れられない恋のひとつやふたつくらい、人生のスパイスでしょうか
拙い文章ですが、最後まで読んで頂きありがとうございます^^
女の子へ
「寂しい」「会いたい」に無理に蓋をして自分の気持ちに嘘をつくよりも、自分のことも相手のことも大切にできるあなたでいてください。