注目コラム

初めまして頬骨です!私はいつもTwitterで、自身の失敗談やら微妙にクセのある恋愛経験をリアルタイムでお届けしているのですが、今日は自分の人生の中で印象に残っている「初めてしっかり目にフラれた思い出」について綴ろうと思います。

BGMはその当時の思い出ソングである、「ケツメイシ/夏の思い出」を聴いてくだされば幸いです。私は聴いてます。

Contents

夏…始まりの合図

私服が鬼ダサかったバスケ部キャプテンとすぐに別れた後、時期は夏が来ようとしていて学校祭間近。高校1年生の私はある1人の先輩のことが気になっていました。見た目は俳優の永井大に似ていて、キリッとした目が特徴のやや小柄だけど焼けた肌が魅力的な”Y也”という高3年生の先輩。学校祭準備期間に見かけるようになってから、「後夜祭の時に上がる花火を一緒に見よう」と決意するまでに想いは高まっていました。。。

なんだかんだ楽しい学校祭が終わりに近づいた頃。私が通っていた学校では、後夜祭が始まる前に、余韻冷めやらぬ3年生達が学校内を意味無く小一時間練り歩くという慣例があったのですが、私はこのちょうど良過ぎるインターバルを利用して、Y也先輩を花火に誘いだそうと画策していました。

そうして練り歩く集団が1年生の階に到着した時、あらかじめ根回ししておいたA子ちゃんにガラケーを渡し、Y也先輩の元へ駆け寄る私。

「あの…写真一緒に撮ってください!!」

「え…俺???!」

「そ、そうです!」

周り「ウェーーーーーイ!!!!」

学校祭の余韻をひきづっていた生徒達は「ウェイ!ウェイ!ウェイ!ウェイ!」と私達のツーショットを応援してくれました(50人位いました)。

パシャ!!!(写メールを撮る音)

周り「ヒューーーーーーーーイ!!!!」

緊張で震える手でガラケーを確認…

「うん、撮れてる…」

50万画素の携帯にはY也先輩と私の姿が。「後でハートのスタンプとかつけてデコろう…」と思いながら素早くY也先輩のメアドをゲット。(結局オーディエンスの前で誘う勇気はなくて、花火は学祭を作り上げたクラスのみんなで見ました。)

一瞬で…Summer

それからY也先輩とはメールのやり取りをする日々。件名欄の「Re:Re:Re:Re:Re…」が増える度にニヤニヤ。どちらが誘ったか、Y也先輩の地元でやっている花火大会に行くことになり、私は浴衣ではなく「黄色のタンクトップと青いドット柄のポーチとダメージジーンズ」でデートに向かいました。確実にダサいはずなんだけど、2000年代はこういう服装も周りが「裏原系っぽい」とか「シャカラビッツ聴いてそう♪」とか言ってくれていたので、むしろ当時にしてはオシャレな部類だったはずです。Y也先輩もなんかピンクのストライプのシャツと薄過ぎる色味のダメージジーンズで現れました。割と大らかな時代でしたね。

花火が終わった後は公園でブランコを漕いだり、ファミレスで明け方まで話したり、Y也先輩はお腹を壊してコンビニのトイレにこもったりしていました。夏休みのカラオケデートでは「Every Little Thing/フラジール」を歌ったことを覚えています。

デート中に私の携帯の画像一覧から「私がハートでデコった2人のツーショットの写メ」を見られる一幕も。思春期ってそういうの、消えたいくらい恥ずかしいですよね。

(余談ですが、私が高校3年の時、ノートに好きな人の名字と自分の名前を書いたのを家庭教師の男に発見され、「うわなんだこれ気持ち悪いんだけど笑」と吐き捨てられてからは、そういうメルヘンチックなことは一切しなくなりました。)

学校が始まってからは、「Y也に彼女ができた」と聞きつけた他の3年生が私の教室まで見に来て、恥ずかしさのあまり「無理ィー」とうちわで顔を隠したり、放課後に教室でたわいもない話をしてみたり、近くの川でアイスを食べたり…私は完全に青春を謳歌してました。「これが高校生ってやつか笑」と小さな万能感に浸りつつ、「好きすぎて食事が喉を通らない」なんてことも経験しました。私の時は春巻きでした。

連絡が来ない

秋になり、父親が若い頃着ていたadidasのナイロンジャケットのお下がりを羽織り始めた頃、Y也先輩から急に連絡が来なくなりました。Y也先輩の不可解な行動に納得がいかなかった私は、友人の協力のもとY也先輩と「話し合いの機会」を設けることに。

放課後、廊下に座るY也先輩とその横にしゃがむ私。自分から呼び出したくせに頭が真っ白になり、何か言うわけでもなく「ふふ…」と奇妙に笑うだけでした。Y也先輩は終始無言。それだけじゃなく、私はおそらく角度的にパンツが見えていたと思うのですが、長期間に渡る連絡不足で思考力が低下していたので「なんだったら見せてやろう」的な、色仕掛けにも似た無計画な策略すら繰り広げていました。

結果、Y也先輩から引き出せたのは「受験勉強が忙しい」という報告だけでした。

夏の思い出

3年生だもんね。勉強大変だよね…。私は寂しさをグッとこらえ健気に連絡を待ちました。

『今日は友達と◯◯行ったよ♪勉強どう?!進んでる~!?無理しないで頑張ってね><』など、定期的に可愛いすぎるメールを送信してましたが、センター問い合わせも虚しくY也先輩からの連絡は0件のままでした。

そんなある日、突然『ごめん、別れよう。もう好きじゃないわ。』とメールが飛び込んできました。その瞬間に全てが繋がって、「だからあんなに冷たかったんだ!!」と気づいたんです。

それまでは「忙しいから」とか「余裕がないから」ということが、連絡も来ない・話し合いも要領を得ない理由だと思ってたのですが、ここでようやく「冷たい=興味がない」というシンプルイズエブリシングな事実に気づいたのです。すごく悲しかったです。

そのあたりは全然記憶がないのですが、一応Y也先輩も罪悪感からか電話に応じてくれるも、電話越しの声はとても冷たく、「え…テンション変わり過ぎじゃない…?」と、当時の私は酷く混乱したのを覚えています。

こうして私の「夏の思い出」は一瞬で終わりました。

プリクラ交換?!

私をフったことで受験勉強に集中した(たぶん)無事Y也先輩は、市内の志望校に合格し卒業していきました。それから高3の春になり、私の髪型がロングウルフの”ムッシュかまやつ状態”だった頃、突然受信メールに「Y也先輩」の文字が。当時のことを思い出しドキドキしながら開くと「妹が同じ高校に入学したので仲良くしてほしい」という妹思いな一面を覗かせる内容が書かれていました。

妹に関しては、「めんどいな…」と思いながらもなんとなく何かの下心で承諾、そのまま雑談なんかも続けてみたりしました。どうやら「大学内でジミー大西に似ているとホスラブ(掲示板)に書かれた」らしく、本人は笑い話にしながらも少し気にしている様子が印象的でした。Y也先輩から私の個人情報を得たY妹は、その後定期的に私のクラスに訪れ、プリクラを交換をする仲になりました。良い子だな~って思いましたね。

夏…そして再会へ

そうして再び連絡を取り始めた私とY也先輩は、なんと2年ぶりに会うことになりました。久しぶりに現れたY也先輩は黄色のラコステのポロシャツに宮川大輔のような眼鏡姿。某芸人に似ている雰囲気をカモフラージュするためでしょうか。悲しいことに、自分でも気づかないうちに脳内麻薬はとうに切れており、永井大の面影を見ることはできませんでした。

その日に行ったボーリングでは、私は1投目からありえないフォームと投球で右手親指と右足首を割とガチで負傷し、夕飯どころではなくなったのであっけなく解散しました。

それから2度と会うことはありませんでした。

それぞれの道へ

そんなグダグダな私の人生初の失恋ですが、この記事を書いてる途中で中学でも割としっかりめに失恋してたことを思い出しました。当時は今よりもしっかりアピールするタイプだったんですね。私すごい。

でもきっとこの高1の夏の思い出は、失恋で終わったからこそ、とても色濃く残っているのだと思います。今でもなぜか覚えているY也先輩のメールアドレス。ドコモユーザーでした。

ただ最後は「ジミー大西に似てる元彼」として印象付けてくれたY也先輩にはとても感謝しています。イケメン俳優のままだったらきっと未練が残ってしまいますからね…。

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